息子が『届けて』くれるもの
															「人に何かを届けるって、どういうことですか?」
もしも25年前の私にこの質問をしたら、きっと「言葉で伝えること」や「行動で示すこと」といった答えを返していたでしょう。
でも今なら、迷わずこう答えます。
「そこにいるだけで、自然と相手の心に何かが届くこと」
なぜそう思うようになったのか。それは、私の息子が毎日教えてくれているからです。
息子との日々
25年前、息子が生まれました。息子はさまざまな困難を抱えて生まれてきました。
身体的な制約は多くありますが、息子には豊かな表情があります。よく笑います。こちらの簡単な問いかけには、ゆっくりと手で答えてくれます。
息子と暮らし始めてから、私は大きく変わりました。それまでの私は、正直に言うと、恵まれた人生を歩んでいたと思います。勉強もスポーツもそれなりにできて、就職も順調で、挫折は数々あれども、それでも恵まれていたと思います。
だからこそ、ハンディを負った人や、さまざまな理由で弱い立場にいる人たちのことが、視界に入っていなかったのだと思います。
でも、息子と一緒に暮らすようになってから、すべてが「自分事」になりました。駅で困っている車椅子の方を見かけると、放っておけなくなります。街で見かける障がいのある方々の表情が、以前とは違って見えるようになりました。
昔から優しかったと思いますが(笑)、もっと優しくなりました。
息子が届けてくれる二つのもの
息子には、私たち夫婦も驚くような特別な力があります。それは何かを「与えよう」とか「伝えよう」という意図があるわけではありません。ただ、そこにいるだけで、自然と周りの人たちに届けてくれるものがあるのです。
一つ目:癒し
息子はよく笑います。普段は何か物思いに耽っているような顔をしていますが、人が話しかけたりすると、よくニコニコします。
キャッキャッと声を出して笑えば、その場にいる人間すべてが嬉しくなります。なぜか「おしまい」と言うと、おかしいらしくて「ニコッ」としたり、時には声をあげて笑います。すると、周りの人たちはつられてみんな笑顔になります。
妻がよく言うことですが、息子には何か分からない「癒し」のパワーが備わっているようです。確かに癒されますし、きっとそれはお世話になっているヘルパーさんにも感じていただいていると思います。
ヘルパーさんからはよく「手を握っていいですか?」と聞かれます。「手を握っていると、とても癒されるんです」という言葉をいただくことも頻繁にあります。直接触れることで、より「癒し」のパワーが伝わるのかもしれません。
そして、その存在自体が周りの人へ「癒し」を届けている、そういうことなのだと思います。
二つ目:優しさの連鎖
息子が届けてくれるものは、癒しだけではありません。もう一つあります。それは「優しさの連鎖」です。
私の弟には男子が2人いて、下の子(と言ってももう立派な社会人ですが)が、小学生高学年の時の話です。
運動会で何かの競争競技に出た時のこと。少し障がいのあるクラスメイトと一緒になって、スタートしたすぐ後、興奮したせいか、そのクラスメイトは着ていた洋服を脱ぎだし、裸になろうとしました。もちろん、保護者や先生・生徒がたくさん見ている中でです。
すると、私の甥は、一緒に走りながら、必死になって服を着せて、競争度外視で、最後まで一緒に服を着せながらゴールしたそうです。
この様子を見ていたそのクラスメイトのご両親は感謝感激、先生も他の生徒や保護者も、見ていた皆さんがその甥の行動にとても感動してくださったそうです。
その後、なぜそのような行動ができたのか問われた甥は、こう答えました。
「僕には障がいのあるいとこがいて、よく知っているから」
先日、母が亡くなった後、父と色々な話をする中で、父が上記のエピソードを話し出しました。そして、いつも私の弟夫婦は、息子たちが二人とも優しい子に育った、優しい大人に成長したのは、私の息子のおかげだと、いつも言ってくれていることを私に教えてくれました。
初めて聞いた私は、涙が止まりませんでした。
息子は直接的に甥に何かを教えたわけではありません。でも、息子の存在が、甥の心に「優しさ」を届けていたのです。そして、その優しさが、今度は別の人に届けられていく。これが「優しさの連鎖」なのだと思います。
届けられたものから学んだこと
息子と過ごした25年間で、息子が届けてくれたものから、私は大切なことを学びました。
存在することの価値
「生きているだけで丸儲け」という言葉があります。
この言葉が、本当に真理を突いていることを、つくづく実感するようになりました。
どんな人も、必ず生きている意味があります。私たちの息子も、少なくとも私たち夫婦のために、生きていてくれています。これは心からの実感です。
息子の寝顔を見るたびに、「絶対に守らなければ」という気持ちが湧き上がります。それと同時に、「この子が生きていてくれるだけで、私たちは幸せだ」と感じるのです。
成果や結果ばかりを追い求めがちな現代社会ですが、存在そのものに価値があることを、息子が毎日教えてくれています。
ダイバーシティの本当の意味
世の中には、本当に色々な方がいらっしゃいます。
障がいのある方や心身の弱い方ばかりでなく、LGBTQの方々、日本における色々な意味での少数派の方々…それぞれが異なる立場や考え方、気持ちを持ちながら、頑張ったり、苦しんだりしながら生きています。
そんな当たり前のことを、息子と一緒に暮らす毎日の中で、ずっと学び続けてきました。
ダイバーシティとは、単なる制度や仕組みではありません。一人ひとりの存在を認め、尊重し、その人らしさを大切にすることなのだと、息子が教えてくれました。
優しさは連鎖するということ
甥のエピソードを通じて、私は息子の本当の力を理解しました。
息子は直接的に甥に何かを教えたわけではありません。でも、息子の存在が、甥の心に「優しさ」を届けていました。そして、その優しさが、今度は別の人に届けられていく。
これは単なる美談ではありません。優しさは本当に連鎖するのです。
一人の人の優しい行動が、周りの人の心を動かし、その人たちがまた別の人に優しさを届ける。そうやって、優しさの輪が広がっていく。
もしも世界中の人たちが、この「優しさの連鎖」を信じて、小さな優しさから始めたら、きっと今よりもずっと住みやすい世界になるのではないでしょうか。
息子が教えてくれた、最も希望に満ちた発見です。
これからも届くもの
息子と過ごす日々は、今も続いています。
毎日の何気ない瞬間に、新しい発見があります。息子の笑顔を見るたびに、「この子からまた何かが届いている」という感覚があります。
経営コンサルタントとして多くの企業とお話しする際も、息子から学んだことが私の根底にあることを強く感じます。
世知辛い世の中、殺伐とした人間関係、厳しい生存競争…現代を生きる我々に必要な「癒し」と「優しさ」を、息子はその存在によって、周りの人たちに届けているのかもしれません。
そのまま存在していること。周りの人を笑顔にすること。そして、その存在を通じて多くの人の心を優しくすること。
これらは息子が『届けて』くれた、人生で最も大切な学びです。
